駒沢大学の駅前で賃貸・売買の不動産業を営んでおります。
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おはようございます。ブリスハウス市村です。
今日は、広田弘毅と言う人物についてお話します。 (故・城山三郎さんの著書『落日燃ゆ』を読みましたので、その感想です。) 広田弘毅は、戦後の『東京裁判』において、A級戦犯として、文官でありながら ただ一人死刑となった人物です。 広田の略歴 1906(明治39年)外交官試験合格。外交官補(同期に吉田茂) 1933(昭和 8年)斉藤実内閣の外務大臣に就任 1934(昭和 9年)岡田啓介内閣外務大臣に留任 1936(昭和11年)2.26事件により岡田内閣総辞職を受け、内閣総理大臣就任。 1937(昭和12年)内閣総辞職。近衛文麿内閣の外務大臣に就任 1948(昭和23年)巣鴨拘置所において絞首刑(70歳) ※彼が死刑になった背景については、『落日燃ゆ』をお読み下さい。 もっと評価されるべきだと思います。 それは統帥権の下に、軍部(特に陸軍)が暴走している 状況において、外交官としてあくまで外交で問題を解決し、 戦争を回避すべく努力していたからです。 また、広田弘毅は東京裁判において全く弁明・自己弁護 をしていない。 これは、『自らのために計らわない』という彼のスタンスや、 たとえそれが真実でも、自分に有利な証言をすることにより 広田弘毅 不利な立場になる人がいること、自身が首相・外相として紛 (1878-1948) 争・戦争の回避ができなかったへの責任感がそうさせたの でしょうか。 『落日燃ゆ』で紹介されている広田のエピソードを一つ。 広田は湘南の鵠沼に別荘を所有していましたが、小田急線の音がうるさいので、 どこか近くの別のところに移ろうとしていました。 近くに格好の土地がありましたが、地主が『広田さんになら坪10円でいいですよ』 といった。相場では坪15~16円する場所である。 広田はその土地を気に入っていたが、息子たちには次のように言ったそうです。 『政治家が土地を買うときは、よほど注意しないといかん。安かったら、絶対に 買ってはいけない。』 非常にクリーンなんですね。今時の政治家とは違うなあ。 もう少し、広田弘毅の人物像について語りたいので、また次回に ![]() ★C21ブリスハウスホームページはこちら♪★ http://www.blisshouse.co.jp ☆C21リリーストホームページはこちら♪☆ http://www.released.co.jp PR ![]()
無題
隠れた偉人。私も今度読んでみます。
無題
私も、勉強し直します。
無題
戦犯にはA級・B級とありますが、アルファベットが戦犯の重さを表しているわけではないんですね。
無題
以前お話されていた方ですね。
勉強になります。 ![]() |
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