駒沢大学の駅前で賃貸・売買の不動産業を営んでおります。
地域密着+センチュリー21総合力で快適なお住まい探しをお手伝いさせていただきます!!
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
おはようございます。リリースト佐原です。
冬晴れの本日のブログは私がお送り致します。 どんな方にも心に残る一冊があると思いますが、 本日は私が思わずニヤッと笑ってしまった一冊をご紹介いたします。 先日仕事帰りに立ち寄った飲みのある席で 飲みの席では必ずと言ってよいほど出る永遠の難問。 「男女関係について」の疑問が誰からともなく飛び出しました。 世の中には様々な男女にまつわる疑問があり、その疑問がまた人生というものを 面白くも、つまらなくも彩っていくものだと思うのですが。 本日私が推奨致します、村上 春樹 著の 「カンガルー日和」 には ・4月のある晴れた朝に100%の女の子に出会うことについて という短編作品が収録されています。 高校生の頃この作品に出合った私はお洒落な文体に感激し それから彼のエッセイや短編を読み漁りました。 彼の作品は長編、短編、関係なく心を和ませ、時に心躍るファンタジーの世界へ連れて行ってくれるので お勧めです。 一杯の赤ワインとカンガルー日和 これが本日の私のお勧めのお夜食でございます。 それでは皆さんまた来週~ ★C21ブリスハウスホームページはこちら♪★
PR テクノポリス2000-20 こんにちはセンチュリー21リリーストの高橋です。 寒い日が続きますが 今日も宜しくお願いします。 先週のblogでも述べましたが 私は子供の頃から 好きなものに対する執着心がもの凄く かなり深いところまで追求してしまう 本当に変わった子供でした。 相撲だけではなく 恐竜、野球、なわとび?、核融合~原子力 そして音楽! その中でも YMO(Yellow Magic Orchestra)に対する熱の入れようといったら 奇知外を超えて変態でした。(笑) 彼らとの出会いは 私が小学5年生(11歳)だと記憶します。 ある時 当時の友達だった佐藤君(別名サトーマン)が YMOのカセットテープを自宅に持ってきて 「これすげーぞ! 聞いてみー」と いつも冷静沈着な佐藤君が 大興奮して 手を震わせながら そのテープを私に渡して 初めてのYMO体験が始まりました。 その後 中学を卒業するまでの約5年間 二人でいろいろとYMO周辺の情報を調べ上げかなりのYMOコレクターになっておりました。 しかし 今 思うと一つだけ手にしてないというか どうしても手にしたいものが一つだけあります。 それは・・・・・・・。 確か 私がYMOショックを受けた年(たぶん1980年)だと思うのですが 放課後 いつものように佐藤君の家に遊びにいきました。 そして 裏庭から「佐藤君! 遊びましょう? 佐藤君 遊びましょう?」 と呼んだのですが その日に限って なかなか佐藤君が 顔を出しません。 10分少々 待っていましたが お昼に食べた給食があたったのか 急に腹が痛くなってきてしまい 「あっ!まずい(汗) 帰ろう」と思った その瞬間 佐藤君が 裸足でラジカセ片手に 家の縁側から飛び出してきました。 その映像にもビックリしましたが そんなことより腹の調子が悪くなってきて 佐藤君を笑うことより トイレ問題の方が重要な状況になってきていたので 「サトウマン 悪いけど 帰るよ」と言ってその場を去ろうとしました。 その時です 満面の笑みを浮かべ 佐藤君がラジカセのスイッチを押して いつものYMO?の音楽を流しました。 流しましたが いつもの音というより明らかにライブの音源で それまで一度も 聞いた時のない音色でした。 すぐさま私は 「何これ パブリックプレッシャーのライブ」? 佐藤君「違うよ」 「じゃぁ アトランティックツアーの音源」? 「1978年 中野サンプラザでの凱旋ライブ」? 佐藤君「違う 違う」 「じゃ 何」? 佐藤君「先月(4月)にやったNHKホールでのライブの音源さ 今さっき FM東京でやってたから 途中からだけど 録音したんだよ」 「え~ 今日 FMでそんなのやってたの? うぇ~ でも すごいなこの音 教授(坂本 龍一) バリバリに弾いてるよね」。 そんなこんなで お腹の痛みは いつの間にか 何処かへ飛んで行き 二人で何も語らず 日が暮れるまで 何回も何回も その音を聞いていました。 曲は2曲のみ録音されて 「コズミック サーフィン」と「千のナイフ」だけでした。 しかし あんなにもフェイザーをふりかけた強烈なプロフェット5の音は今も昔にも聞いたことはなく 本当にあの時の演奏は素晴らしかったのだと 記憶しております。(1981年のウィンターライヴでの シンセの音にまるでディストーションをエフェクトしたアバンギャルドのも凄かったけど またあれとはちと違う) 後で知ったのですが 当時のツアーのメインギターは 故大村 憲司だったのですが ツアーの途中で体調を壊し 代わって鮎川誠、藤井丈司がギターを弾いていたらしいです。 また サブキーボードも 矢野 顕子にかわり 橋本 一子が担当をし かなり 坂本 龍一の比重が多くなり 結果的に あのような 超過激な演奏になったのかなぁ~と想像します。 その後 佐藤君は受験勉強が忙しくなり こちらは陸上に忙しくと 二人の仲は だんだんと離れっていったのでした・・・。
そんな感じで それから約20年 私は 幻のテクノポリス2000-20のライヴ音源を探しつづけておりますが 全然 その欠片ひとつ 見つかっておりません。 佐藤君とも高校以来 連絡をとれなくなり ネットや雑誌などに 随分と依頼をしましたが 一向にその情報が掴めておりません。 もし「その音源を持ってるよ」っていう方 いらっしゃいましたらば 是非 ご一報下さいませ。 宜しくお願い致します。 そんなこんなで 長々と自分の思い出話から探し物の依頼と身勝手な高橋ワールドをご覧いただきましてありがとうございました。 世間一般と申しましょうか 今年はサブプライムローンの問題を筆頭にかなり厳しい一年に世界中がなりつつありますが 皆様もどうぞ前向きに頑張っていきましょう。 いつでも心は太陽の如く 高橋 ★C21ブリスハウスホームページはこちら♪★
Searching Technopolice 2000-20 Hello, this is Takahashi from Century 21, Released. Chilly days are continuing, but please bear with me again today. As I mentioned in my last blog, I was a very different kind of child who had strong attachments and inquiring minds toward whatever interest me. Not only sumo but I also liked dinosaur, baseball, jump rope, nuclear energy and MUSIC! Especially YMO was the one that made me really excited like a maniac among others –laugh-. As I recall, I was a 5th grader (11 years old) when I discovered them. One day, my friend Sato-kun (aka. Satoman) who was always calm, shouted excitedly to me “This is awesome! You have to listen!!” and handed me that tape with his trembling hand. -omission- Since then, we researched about YMO and we both became quite a collector of them during 5 years until we graduated from junior high school. But when I think about those days, there was one thing I couldn’t get and I still want to get really badly. That is...... I think that was same year I got YMO shock (probably it was 1980), I went to Sato-kun’s house after the school as usual. Then I called him out “Sato-kun, come out and play! Sato-kun, come out and play?” but that day he didn’t. After 10 minutes of waiting, I started to have a stomachache from school lunch I ate. Just when I thought I had to go home, Sato-kun ran out from deck of the house barefoot with a radio/cassette player in his hand. I was fully surprised with that scene but rather than laugh about it I felt big urge to go to the bathroom and I said to him “Sorry, Sato-kun but I’ll go home” as I was leaving his house. At that moment, he pushed start button of cassette player and had usual? YMO music ran. He ran the music but that wasn’t usual sounds, that was obviously live sounds and that was something I never heard of. “What’s this? Live from Public Pressure?” I asked him right the way. ”No” Sato-kun said. ”Then, sound source from Atlantic Tour?” ”Live from the return live at Nakano Sun Plaza in 1978?” Sato-kun said “No, no” ”Then what?” Sato-kun told me “this is from the live at the NHK hall in last month (April). FM Tokyo was airing it so I recorded.” ”Wow, did FM air such a program? Gosh, sounds awesome, the professor(kyoujyu) is grinding it, isn’t he?” With all that happened I forgot my stomachache and we listened that tape over and over until dusk without a word. Only two songs, “Cosmic Surfing” and “a Thousand Knives” were recorded. But I have never heard such a powerful Prophet5 with so much phaser effect on even now and I remembered it as an unbelievable performance. (The avant-garde sounds with distortion effect on the synthesizer at the Winter live in 1981 was really powerful also, but it was still different.) Later, I found out that main guitar at that tour was the late Kenji Omura who had a health problem during the tour and Makoto Ayukawa and Takeshi Fujii had replaced his part. Also, Kazuko Hashimoto had replaced Akiko Yano as a sub-keyboardist and I imagine that resulted in more weight on Ryuichi Sakamoto to go such a extreme performance. After that Sato- kun became busy with high school entrance exam study and I became busy with track and field, our relationship fall apart naturally... Sometime later when I was in late teens, I noticed something when I was recollecting YMO live sounds with Araki-kun who is my high school friend and also big fan of YMO. Takahashi asked “Asa-san, What that live before the second world tour in 1980 called?” “The one that the professor with black sunglasses and black tuxedo.” Araki said “Hmmm...The one without Akiko Yano?” “Oh, I remembered!!! That was Technopolis 2000-20!!!” Taka said “Yeah, that’s right. That was Technopolis 2000-20. But we don’t hear or see anything from that, do we?” Ara said “That’s true.” Taka said “There should be a master tape because I heard that performance on FM radio before.” Ara said “ You got to be kidding? That live sounds! You are lying.” Taka said “That’s not a lie. I really heard that when I was a 5th grader.” Ara said “Why can you be so sure?” Taka said “Because time matches perfectly when they had the live tour and when I heard them on FM radio. Moreover, that sound was different from the live before and after in 1979 and 1980.” “Its true...” Ara said “All right, I will believe you since you said so.... but that sounds awesome. How was it?” 20 years later, I’ve still been in search of the sound source of the fable live Technopolis 2000-20 and unfortunately, I haven’t found any thing, not even a tiny piece of it. I lost contact with Sato-kun since high school and I kept on searching for the sound source thru internet and magazines with no lead. If you have the sound source, please let me know. At last, thank you all to bear selfish Takahashi world such as my long reminiscence story and my request for the fable live. In general, it seems the world is heading towards harder times with sub-prime loan problem lined up in the front. But please be always positive. Always have your heart like a sun.
こんにちは
![]() 本日はブリスハウスの 内田 です ![]() ![]() 最近私のデスクの隣の隣にいる部長のY氏がキーボードにはまっています ![]() つい1週間ほど前に、「うちだ~どれがいいかな?」と言いだしたと思ったら 数日後にはインターネットで購入し、現在は毎日練習しているそうです。 私は音楽大好きです ![]() 実家がピアノ教室をやっていたこともあり、5歳からいやいやピアノを始め、 青春時代は吹奏楽部でトランペットを吹き ![]() 大学ではバンドのボーカルをし ![]() 毎月武道館やら横浜アリーナやら大小のライブハウスをまわり 好きなアーティストのライブを聴いてはCDを買っていました。 そして現在に至ります。 最近はフォークソングに魅力を感じ、 22歳の別れがマイブームだったりします(●^o^●) 理由:TVでたまたま聞いたから あの音の運びが好きです ![]() 音楽って、聴くとその曲を聴いていた当時の状況をぐわーっと 思い出しますよね。 その中で懐かしい気分に浸ったり、思い出したくない事もあったり、 色々ですけど。 私は時期によっていろんなジャンルを聴いていました。 自分の気分にはまればなんでも聞けます。 クラシック・クラシックの中の現代曲・ヒップホップ ポップス・レゲエ・ジャズ・フォークソングなどなど ![]() ![]() そういえば色々聞いたなあ・・・なんて思うほど。。。 他のブリリグ書かれている同僚の皆様も 色々なご趣味・ご興味がありいつもいつも感服していますが ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 家を建てるか買うかして ![]() 実家にあるグランドピアノを引き取り 優雅に賃貸のオーナー生活をしながら ピアノを弾いたり ![]() ガーデニングしたり ![]() お料理したり ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 皆さんの夢はなんですか? ★C21ブリスハウスホームページはこちら♪★ http://www.blisshouse.co.jp ☆C21リリーストホームページはこちら♪☆ http://www.released.co.jp
おはようございます。 新保です。
雑誌を立ち読みしていて、目が釘付けになりました。 『レヴェントン』。 今は、第3次スーパーカーブームだそうです。 その中で、2007年にデビューした中からのベスト10の記事でした。 フェラーリ・ポルシェ・アストンマーティン・マセラティ等などの凄い車 鋭いデザイン・非現実的なオーラが目を止めさせた。 ※スペックは、雑誌を買って見てください。
細かい事がいろいろ書いてあったので、本を買って帰った。
20台限定生産。(間に合うかな~?)
ユーロって?いくらになるの・・・・日本円で約160,000,000円(税別) ・・・・税別って・・・税はいくら??? 部屋を見渡し、現実に戻った。 今はやめておこう????・・・・・サイドミラーでも手に届くかどうか??? しかし、こころくすぐる車。 まずは、『レヴェントン』のミニカーが出たら、そこからスタートしようと 自分を納得させた時間でした。
おはようございます
![]() 皆様はお休みの日ってお出かけしますか? 私は、時間が出来るとお出かけします。 特に、温泉 ![]() 私のお勧めエリアは 群馬県にあります四万温泉です。 しまん と書いて しま と読むみたいです。 噂では、千と千尋の神隠しの舞台になったところみたいなんです。 四万温泉は、他の温泉地とは違って、すごくマイナーなんですが、 そこがまたいんですよ~ ![]() 積善館と言って、元禄時代からただずんでおります群馬県重要文化財に指定されている旅館があるのですが、ここはかなりお勧めです。 本館と新館があるのですが、本館は元禄時代から続いているだけあってかなり情緒があって、 しかも一泊5000円(税別)というリーズナブルな料金で宿泊できるんです。 是非是非一度足を運んでみて下さい。 www.sekizenkan.co.jpにアクセスしてみてください。 いやぁ~温泉はいいですね ![]() ![]() ![]() ここが、噂の元禄時代から続く重要文化財に指定されている積善館です。 この旅館の温泉 ![]() 本当に自分が元禄時代に生きているのではないかと 錯覚をしてしまいそうな程素敵なんです ![]() 言葉では語りきれないので 是非、皆様ご自分の目で確かめてみてくださいね ![]() では、では ![]() ★C21ブリスハウスホームページはこちら♪★ http://www.blisshouse.co.jp ☆C21リリーストホームページはこちら♪☆ http://www.released.co.jp |
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
[12/12 miyu_7]
[12/12 miyu_7]
[12/11 ichimura]
[12/08 失業中のS]
[12/06 ichimura]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
アーカイブ
|